リービッヒ冷却器のはなし

ツイッターやフェイスブックでリービッヒ冷却器をネタに仕込んだジョークを流したところ,「どうして冷却水は下から上に流すのか知りたい」という質問を受けた。これについてはずっと昔に自分で納得のいく説明を得ているのだけど,質問者のことばを見ると,そんなにわかりやすい話ではなさそうだ。解説を約束したので,書いておきます。

リービッヒ冷却器というのは下の写真のようなガラスの実験器具で,液体や蒸気を中心の管に上から通し,外側の管には水を流して冷却する仕掛けだ。有機化学の実験では,フラスコなどで合成した生成物の蒸気をリービッヒ冷却器に通して液化させて集めるといった使い方になる。似たような器具としてはジムロート管などもあり,より効率よく冷却するのにはそちらを使う。他にもあるが,実際に自分で使ったのは以上の2つだけである。


リービッヒ冷却器

冷却水は上下どちらから流すのが正しいか

高校や大学の化学実験では,このリービッヒ冷却器に水を流す向きについてわりとしつこく教えられる。冷却水は上からではなく,下から流せというのである。入試の正誤問題にも出ているようだ。問題として取り上げられるときには,下の図のように,温度計の感温部の位置をどうするかも出題されている。もっとも加熱にローソクを使うなんてことは,描いた人のジョークでしかないし,今どきは火を使うこともなく,電気で加温するマントルヒーターを使うのが普通だろう。

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下から水を流す理由(公式見解)

もちろん,実験はサイエンスなのだから,〇〇は〜でなければならぬ」というふうな法律を守って水を下から上に流すわけではない(そういう人も教育界あたりには結構いるので困るのだけど)。りっぱな合理的な理由がある。それは,熱効率をよくするためという理由だ。

リービッヒ冷却器のような装置は一般に熱交換器と総称されていて,冷やされるべき流体と冷却用の流体を管の内外に流して,熱を移動させる仕掛けのものも多い。そのさい,2つの流体の流れの向きが平行なものを「並流」,逆向きのものを「向流」という。で,向流のほうが冷却効率が高く,よく冷える。
 なんて偉そうに書いているが,さっきネットで調べたばかりである。遠く若い頃に工業高校で化学工学の授業を受け持ったことがあるのだが,その用語は覚えていない。下にそれらにおける流れのようすを示した。赤いほうが冷却されるべき物質であり,青いほうが冷却に用いる水道水だ。


冷却水の最初の温度を仮に20℃ということにしよう。並流だと,冷やしたい流体は最初に20℃の水で冷やされるが,管を出るときにはかなり温まった水に接触して冷やされることになる。一方,向流だと,流体は最後に最も冷たい20℃の水に触れる。とうぜんこちらのほうがより低温に冷やされる。冷却効率が高いのだ。リービッヒ冷却器の水は冷やしたいものの流れと逆に,つまり下から上に流すべきなのである。理論計算も確立していてネットにいくらでも資料が見つかるので,興味のある人は「熱交換 効率 向流 並流」あたりの検索語で探してみてください。ハイハイ,これで話は終わり。

水を上から下に流すべきでない,もっと大事な理由

ところが,ここで話は終わらない。以上の回答は受験生向けにはいいが,実験家にとっては熱効率がどうであろうが,水を上から下には流せない大きな理由があるのだ。それは,上から流すと冷却管に空気が溜まってしまって水が排除されてしまうという,洒落にならない問題が発生するということなのだ。こんなことは実験をやったことのない教師には分からない事情だ。

上の図をみてほしい。細い管の途中に太い水路があるという感じの流路のようすだ。左は下から水を供給して上から出す。右はその逆。水色の玉たちは気泡で,それについてはあとで触れます。
 さて,ふつうに考えると,どっちでも支障なく水は流れていくと思うだろう。ところが,現実の水道の蛇口からは多少なりとも気泡を含んだ水が流れてくるので,そう単純ではない。細い流路の中は流速が速いために,気泡は水と一緒に流れ去る。

ところが,太い部分では断面積に反比例して流速が落ちる。流れが上向きのときには,気泡も上向きに通過するので何も起きない。ところが,上から下に流れる水の中で,気泡は浮力によって上に残ろうとしてしまう。結果,上からやってきた水の中の気泡は,太い部分で下に落ちず,そこに残る。気泡はその後もやってくるので,どんどん溜まってしまって,そのうちに冷却管の肝心のところは空気が占めていて,壁のあたりを水が流れ落ちているだけという悲惨な状況が発生する。これが上に示した右側のようすだ。こんなこたあ,経験したことのないみんなは知らないだろうなあ。えぇ,おいらはやらかしましたよ。失敗は気づきの母なのだ。

結論:理由は2つあるが,教科書には熱交換の効率によるものしか書かれていない

こんなふうに,リービッヒ冷却器の冷却水を下から上に流すべき理由のうち,最初のものは熱効率に関わるもので,逆にしても実は致命的な問題にはならない。しかし,冷却部分が空気ばかりになってしまうと,さっぱり冷えてくれなくなる。むしろ実験的にはこっちのほうが起きてしまうと困る。

とはいえ,「リービッヒ冷却器では冷却水を下から上に流すのはなぜか答えよ」という問題が試験に出たら,十中八九出題者も教科書の知識だけで作題しているだろうから,しおらしく「冷却効率が高いから」と答えておいたほうが無難だと思いますね。

(リービッヒ冷却器の図はウィキペディア収載のクリエイティブ・コモンズの画像を使用しました)