『買ってはいけない』は買っていいか?

小波秀雄


【この文章を書いた動機について】

この本の「買ってはいけない」というタイトルを本屋で最初に見掛けたとき, そのわざとらしさに胡散臭いものを感じた。そして 週刊金曜日別冊という文字に, 了見の狭い本多勝一の例の 色合いで染められた代物だろうと思いながら目次を みると,なるほど,実名を個々に挙げながらその批判記事を書く あたりは受けそうなことだ。で,中の二三の記事を読んで見てあきれた。

科学的な無理解, 論理のすり替え,数字の意図的な誇張,うすっぺらい「良心的」いいわけ等々, どうにも話しにならない内容なのだ。ちょっと調べれば露呈するウソもある。 たいして問題視する必要のないものの害を針小棒大に誇張してみせたり, ちゃちな数字のごまかしで事態を大袈裟にみせたり, ちょっと付け足した結びで批判への逃げ道をつくったりと, およそ反駁するにはあまりにもお粗末な記事を並べたてている。 三流ジャーナリストの手口である。 凡百のくだらん本のひとつだと判断して,本を棚にもどして帰った。

が,こいつが売れまくっているというではないか。次に書店に行ったときには, カートに山積みにしたこの本を店員が運び込んできていたし, 売れているという噂を聞いて,これは買って批判せねばと思って次に書店に行ったら, 「品切れです」という返事。 看過できない状況である。化学屋として本気で批判を書く気になった。 さらに次のようなことも聞いたのである。

高校の理科の教師をやっている知人の報告である。 その同僚の社会科の教師がこの本の内容を信じ込んでいて, 「実名を挙げているのにも関わらずメーカーから反論がないのは,書いてある ことがほんとな証拠だ」と言っていたそうだ。

日本的な悪習として,めんどくさい相手の言うことはわざわざ反論せずに 無視するというのもあると思うのだ。なにせ相手は天下のNHK の受信料不払い訴訟やっていた本多勝一であるから, 喧嘩をやるのは骨が折れそうだ。 ただでさえ批判にだんまりを決め込みがちな企業姿勢が目立つこの国で, めんどうくさい相手に対して及び腰になっている点はあるにちがいない。
 もっとも,あまりにも荒唐無稽であれば 反論すること自体があほらしい。マクドナルドのハンバーガーに ミミズの肉が使われているなどという風評など,私が同レベルの お粗末な中傷を浴びせられたら,笑っているだけのことだ。 レベルの低い喧嘩はしないというのも 社会的常識のひとつである。

さて,こういうことを書くと, 書き手はメーカーの擁護をしてやっているという構図に取られてしまい, お前は悪徳資本の手先だというレッテルを張られそうである。 だが,ほんとうに悪いやつを叩くのであれば,敵をきちんとさだめたうえで, それぞれの急所を撃つべきである。 下手な鉄砲を数うって本当の敵じゃないものにまで十把ひとからげの 弾を浴びせ掛けたのでは, みずからに返ってくる汚名と不信を避けられなくなってしまう。 まともにメーカーの活動を批判していこうとするならば, 小汚いレトリックやセンセーショナルな書き出しは無用である。 そんなものは本当に悪いやつから眼をそらさせる点で有害でしかない。

もっとも,私が「買ってはいけない」の記事の内容すべてを間違いであるとか, 主張がおかしいとか言っているととってもらっても困る。 たとえば,アース製薬のポリデントという入れ歯洗浄剤の成分がまったく 公開されていない(渡辺「味覚も侵す入れ歯洗浄剤」,p.106) というのが本当であれば,当然批判されるべきであり, そういうメーカーを告発していくことは必要なことである。 またこの国の環境や健康に関わる行政を変えていくための働きかけも, いうまでもなく必要なことだ。 消費者がみずからの生活と生命にかかわるすべての製品情報を 手に入れられるように情報公開をさせることと, 消費者自身がまともな知識と見識をもつことの両輪が必要だ。 しかしながら,そういった観点からも, この本がまともな知識と見識を提供していないことは, きわめて問題が大きいのである。知識は断片的で誤りが多く, 見識という面では劣悪な本である。しかも,この本には学説の紹介や 引用について,その出典の記載がほとんどまったくない!

そういうわけで,自分や家族の健康を求める人, まっとうな環境政策や持続可能な資源・食糧政策を求める人にとって, この本は有害なものである。買ってはいけない。 誠実に考えようとするなら,思い付きを無責任に書き連ねたこのような本ではなく, 個別の分野について良心的に編集されたもっとまともな本を買ってほしい。 発行日 1999.Aug.25

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