揚げ足取り

この本の文章のまずさには あきれる。週刊誌のトップ屋クラスの三流文筆家の筆力しかないのであろう。 くだらん揚げ足取りは百も承知で,気になるところを指摘しておく。 あの「日本語の作文技術」 (これはまぎれもなく有益な文章の指南書である)の著者である 本多大先生の謦咳に接することができるという,またとない恵まれた立場に いて物を書いている人たちが,こんな調子では情けないからである。

また,個別に論じていると本文の筋が錯綜するようなものについても, ここでまとめて記すことにする。 (それだけどうしようもなく入り組んだ悪文だということなのだ)

〈了見の狭い本多勝一〉

本多勝一がかつてジャーナリストとしてすぐれた仕事を残したことは, 多くの人の認めるところであろう。私もそのいくつかには感銘を受けたし, 彼の「日本語の作文技術」などは文章書きにとって必読のものであると思う。 しかし,ここ十年ほどの彼の言動を見ると, エキセントリックな態度で本来味方であるべき人間を中傷して排斥したり, 現代科学不信から東洋思想やオカルトなどに傾斜したりしていて, もはや見る影もない悲惨な老後を迎えてしまっているようだ。 もっとも,彼のかつての論説の中にも,そういった傾向は見られていたのだが。 最近の本多と週刊金曜日を批判したものとしては, 後藤文彦氏の頁が参考になる。

〈きわめて猛毒液体なのだ。〉

「きわめて」と副詞でなにかを修飾するのであれば,受けは形容詞か形容動詞で 「毒性の強い」とする。あるいは,「きわめつきの猛毒液体なのだ」と, 連体形で体言を修飾すべきである。

〈よほど慎重にモノを言わないと大変なことになる。〉

もっとも,論理的であろうとするために慎重な物言いをしろというのは, この国の三文ジャーナリズムの世界に対して求めるべくもない要求であるのかも しれない。

〈被害の訴えが寄せられている。〉

このような事例を取り上げる際には,その資料の典拠と事例の年月日を 記入しておかねばならない。ここではメーカーが二度にわたって危険性の表示を 改訂したという流れがあるのだから,取り上げられた事例との前後関係がきわめて 重要なのである。

〈骨折や骨粗鬆症…〉

どうしてこういうふうに前の文章とそっくり同じ単語を, そのまま繰り返してつかって書くのだろう? 小学生の作文ならともかく, 代名詞を使って簡潔に読みやすく表現するという作文術を著者は知らないのだろうか。 まさかワープロでコピー&ペーストして字数を水増ししてるのではないだろうが。
この段落の続きのセンテンス,「Ca 不足というより…」 も,主語が省略されていて, なおかつ省略された主語にきちんと対応する言葉が存在していないという悪文である。

〈支離滅裂ではないか。〉

書いた当人は, あれもこれも言いたくて, 別々の二つのことをひとつの段落に入れたということなのかも知れない。 しかし,いやしくも文章書きというもの, ひとつのパラグラフ(段落)には要約されればひとつの文章になるように内容を整理して書き, パラグラフが連なって全体の主張が構成されるという書き方をするべきである。 本多勝一も文章の書き方でそのへんを力説しているではないか。

〈「水洗いつけおき合成洗剤」〉

皮肉なことに,合成洗剤にくらべて石けんのほうが, つけおきによる汚れ落ちが悪い。というより,石けんでつけおき洗いをすると, いったん落ちた汚れがまた布地に付着する傾向が強いのだ。 この本の著者たちは, 石けんがあらゆる点で合成洗剤にまさっているかのように書き立てる 「石けん教信者」のようだが,そうだったら全国の家庭からあっというまに 合成洗剤は消え失せるだろう。 メーカーの宣伝に騙されてだめな洗剤を使いつづけるほど主婦は馬鹿ではない。 肝心なことは,リスクと利益を公平に比較して,「ちょっと不便なところがあるかも 知れないが,将来のリスク回避のためにこれこれを切り替えませんか」という, 情報開示と納得の上での選択である。そのためには, 「惚れた目にはあばたもえくぼ」とか「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という調子で 貫かれたこの本は有害である。