都市伝説を真に受けた憶測

マクドナルドのハンバーガーにはミミズの肉が使われているというのはもう二十年も昔からある噂だ。 最近のはやり言葉でいえば都市伝説の代表的なものである。 これに尾鰭がついて, ロッテリアのやつにはネズミの肉が使われているなどといったものもあるらしい。 おそらく類似の都市伝説はごまんとあるだろう。もちろん根拠のない嘘である。 メーカーもこういう女子高生あたりがまことしやかにしゃべるような話しを真顔で否定するほど馬鹿ではない。
 根拠のない嘘であると断じることができるのはなぜか。常識を持っていれば 分かることだ。考えてみるがいい。もしミミズの肉を牛肉に混ぜることでハンバーガー製造のコストの削減を図るとするならば, 大量のミミズを牛肉よりも低コストで調達しなければならない。 その量たるや莫大なものであり, ひとつの国の食肉産業の一角に食い込むだけの規模になるだろう。
 釣り具屋で売っている餌のミミズはパルプの中で飼われていて,結構な 値段なのだが,個人企業でほそぼそと生産されているものである。釣りで ミミズを使う人口と,マクドナルドのハンバーガーを食べる人口を比較すれば, もしミミズを食用にするとなれば桁違いに大きな生産体制が必要である。しかし, 食肉用ミミズ飼育メーカーなどというものは実際にはないからこそ, 釣り具用ミミズを生産している零細企業が成立するのだ。 どだい,そうまでして大量生産しても,ミミズ肉の生産コストはアメリカ大陸や オーストラリアの粗放牧畜の低コストと競争できるわけもない。
 もっとも私としては,もしミミズが食肉として本当に利用価値のあるものならば, むしろちゃんと産業化して人類の貴重な蛋白源としていいのではないかと思っている。 ミミズを汚らしいもの,不潔なものとするのはまさに文化的偏見であって, 科学的にはなんの根拠もない。 ミミズがもし美味で安全であれば,私なら食べてもいい。 まあ,それでも文化的違和感ゆえに直接食したくないのが社会の大勢であれば, 魚や鳥の養殖用の餌にすればよい。そうなっていないのは, 養殖用飼料に比べてコストが高いということなのだろうけれど。

 こういう愚論を真面目に考察するのは,書いているほうが情けなくなるのだが, しかし,「買ってはいけない」の著者たちは大真面目に, 大手ハンバーガーメーカーの製品にミミズの肉が使われているという風評を記している。

あるハンバーガーの場合,牛肉はたった20%,全体肉量は45%なので, 「他の肉」が何なのか気になる。かつて『文芸春秋』(90年11月号)に, 「大手のハンバーガーに乾燥食用ミミズが使われていた」と メーカー開発室長の詳細な証言が載っていた。(船瀬, 「環境も健康も破壊するファストフード --- ハンバーガー」p.33)
文芸春秋が週刊金曜日の仮想敵(たぶん)であることをさておいても, いやしくも商品テストなどに通じていると自称している著者が, 10年近く前の雑誌の記事の裏を取材することもせずに断片的な引用ですますことには問題がある。しかも, 世間的にはもっともショッキングさの度合いの大きい記述において, いいかげんな執筆態度をとっているというのは, ジャーナリストとしての自覚がないとしか思えない。
ふだんの食事をマクドナルドですませるような若い女性や男性に, 味覚障害や精子激減など, いわゆる“ファストフード症候群”と呼ばれる深刻な症状も現れている。 さらに狂牛病の恐怖まで上乗せだ。(船瀬,p.33)
この記述にまったく典拠が示されていないのはどういうことだろう。 若い男性の精子の減少というのは最近大きく取り上げられた話題であるが, それは性ホルモン様の生理的機能をもつ内分泌撹乱物質,いわゆる環境ホルモンによる汚染の影響として騒がれたのだ。どういじくれば ファストフードと結びつくのだろうか。 次に,亜鉛などのミネラル不足から起こる味覚障害は, ハンバーガーを食べたことにではなく, 他のものを食べなかったことに原因があるのだ。 ハンバーガーを「買ってはいけない」ということにはならない。
 まして狂牛病の恐怖を脈絡もなく断片的に取り上げるとはまったく 許しがたい無責任な話しである。 狂牛病の問題は,科学的にも社会的にも迅速に対応が行なわれてきていて, 震源地のイギリスの牛肉の,ヨーロッパ各国への輸入制限も終結したのである。

ところで, これは知人からの情報であるが,挽肉のことを食肉業界ではミミズとよぶことが あるそうだ。たしかに挽肉のかたまりはミミズが束になって寄り集まったような 形状をしている。ミミズ入りハンバーガーというのは, おそらくそのへんに由来する都市伝説なのであろう。 お粗末な話しである。

念のためにひとこと書いておくと,私はファストフードやインスタント食品は 原則として食べない。原則としてというのは,それらを食べることをふつうの生活の中に折り込んでいないということである。たまたま他に食べるものがないときに 食べる程度だが,それはそれでおいしくいただくことにしている。
 健康な食生活の基本は,多様,多種類の食材で調理されたものを 規則的に食べることに尽きる。 インスタント食品やファストフードを常食とするような生活は, 食文化の多様性を極端に侵害し,また多くの場合,食塩,糖類, 調味料の過剰摂取につながりやすい。ハンバーガーの場合だと, この本の著者も指摘しているように動物性脂肪の取りすぎの危険もあるだろう。 それゆえに 食生活の基本をそれらに依存してはならないのだ。しかし, まともな食生活をしている人間が時折食べるぶんには, 特に健康にさわるものではないということも, 抑えておくべき見識であろう。

なおここで世界の持続可能な食糧供給という観点での牛肉生産の問題点は, 実は もっとも重要な論点になるところなのである。 だがこの記事のように, ハンバーガーが体に悪いということを議論する文脈に経済的な問題をつなげるのは, まったく非論理的である。よしんばハンバーガーが栄養的に優れていたとしても, それは穀物メジャーの戦略を正当化するものではないし,ハンバーガーが 体に悪いからといって,それが牛肉生産の資本主義経済の難点となるわけではない。 分けるべき問題はきちんと分けて考えていくことが必要なのだ。