新型コロナウイルスによる感染症が急速に拡大して来ています。マスクの不足は深刻で社会的なパニックになっている状況です。政府はこれまでにマスクの十分な供給を行うと何度か表明していますが,日本の人口や一週間は何日かといった基本データも押さえずに勘定の合わない数値を出してきていて,これは間に合いません。ともかく自分や周りの人の命と健康のためには自衛しないといけません。
そんな中,使用済みマスクを繰り返して使っているがどうなんだろうという声があちこち聴こえて来ていますので,どうやったら安全に再使用できるか,そのレシピを科学的なデータをもとに作ってみました。どうぞご参考に。基本を押さえてもらえば状況に合わせてアレンジしてもらっても構いません。現在手持ちのマスクを安全にかつ何倍か有効に使うことで,需要の逼迫を緩和して多くの人が不安を解消できることを願っています。(小波秀雄)
メーカーは「再利用はすすめない」といっているようですが
報道によると,全国マスク工業会は一度使ったマスクの再利用について,洗って繰り返し使えるという表記のない製品については,洗うと機能が落ちるので「おすすめできません」という指針を出したようです。しかし「洗って繰り返し使える」という表示のある使い捨てのマスクは,多分ありません。もっとも,この記事を書いている時点では同工業会のサイトにその指針はありませんでした。といって容認するということも書いていません。なんだか曖昧な態度ですが,売る方としては責任問題もあるからそういうことでしょう。変な洗い方をして予期しない結果になった使用者から,筋違いのクレームが来るといった事態も考えてしまいますよね。
この私の記事では,データと科学的な根拠を示しながらていねいに説明していきますので,納得の上,結果についての責任はご自分で負って行動されるようにお願いします。
理論編:
使い捨てマスクは何でできているのか
国内で売られている使い捨てマスクにはどういうものがあるのか調べるために,ツイッターで写真の提供を呼びかけたところ,120点の画像が集まりました(協力していただいた方々に感謝!)。重複を整理するとメーカーの数は40あまりというところです。
お願いした写真は,業界の自主基準に沿って使用した素材などを表示した部分で,そこからマスク本体(顔にかぶせる部分でフィルターの役割ももつ),耳掛け,ノーズフィットの3つの部分に使われている素材のデータを集めました。
ほとんどのマスク本体はポリプロピレンの不織布
結果は,マスクの本体はほとんどがポリプロピレンで,特に書いてはありませんが不織布になっています。ポリプロピレンとポリエステルを使ったもの,ポリプロピレンとポリエチレンを使ったものが1割ほどです。おそらく風合いをよくするためでしょうが,レーヨンを混ぜたものもあります。
これらは化学的に安定で,繰り返し洗っても問題はありません。ただし水とのなじみは悪いので,洗うに当たっては後に述べるようにていねいにやってください。
ノーズフィットの部分はポリエチレンで,低密度ポリエチレン(LDPE)と呼ばれているものが多いと思われます。これも安定な素材です。
耳掛けのひもは,ポリウレタンにポリエステルを組み合わせたものが大半です。前者の弾力性と,後者の糸としての引張り強度を利用しているのでしょう。ポリウレタンは耐熱温度が低く,伸び縮みの回数が多いとか水分を吸ったりすると劣化が起きやすいのですが,耳掛けの部材ですから,再利用で多少いたんでも問題はないでしょう。でもここがいたんできたら新品に切り替えどきでしょうね。
再利用できない素材
竹酢シートと活性炭を使ったものがありました。竹酢シートは「自然素材」を売りにしているのですが,再利用はおすすめできません。活性炭もいろいろなものを吸着する物質ですので,洗ったら使い物になりません。幸い,以上のような再利用に向かない素材を使ったマスクは1点ずつしかありませんでした。
参考のために,マスクに使われている合成高分子の素材の一覧を下に箇条書きしておきます。この中で最も化学的な耐久性が落ちるのは弾性をもたせたポリウレタンですが,軽くかつ弾性を利用するために耳掛けに使われています。また熱に弱いのはポリウレタンと低密度ポリエチレンですが,90℃までは問題ありません。プラスチックの耐熱性に関するデータはたくさんのサイトにありますので,そのうち見やすいものをシェアしておきます。低密度ポリエチレンの耐熱温度は70℃〜90℃となっていますが,これはそのあたりの温度で軟化しはじめるということです。プラ容器のふたが熱湯で歪んで,はまりにくくなりますよね。あれを想像してください。熱による材質の変質や劣化はしないので,ここでは問題ありません。
- ポリエチレン(PE)
- ポリプロピレン(PP)
- ポリオレフィン(PE,PPなどだが,おそらくこの両者のどちらか)
- ポリエステル(PETが代表的)
- ポリウレタン(PU)
- ナイロン
コロナウイルスを不活化するための基本
コロナウイルスを不活化(生物のような生存形態ではないので,死ぬとか殺すというのはちょっとちがう)するにはいくつか方法がありますが,ここでは洗剤に含まれる界面活性剤で脂質膜を破壊する方法をメインにします。その原理はこのブログにすでに書いてありますので,そちらを参考にしてください。また念には念を入れたい人のために,熱による消毒処理も説明しておきます。こちらの方のポイントは60℃以上で30分です。
洗剤としては,通常の台所用洗剤でかまいません。衣類用の洗剤でもかまわないのですが,香りを付けたものがあるので,マスクとしてはつらいものがあります。実は最初の実験で花王のニュービーズを使ったのですが,匂いに参りました。それ以外に健康の害はないはずですが。
洗剤の濃さは,それぞれの製品に表示してある濃さの2〜3倍程度。また温度は取扱に不自由がない範囲でなるべく高めにしてください。不活化の速度は10℃の上昇で 2.4倍にもなります。温度に対する手の感受性は人によって違いますが,お風呂の温度の40℃は大丈夫ですね。ゴム手袋を使えばもっと高い温度でも取り回せるでしょう。界面活性剤や温度によるSARS-Covの不活化の研究論文を紹介しておきます。
順序としては,まず洗剤をお湯に加えてかき回して(泡立てないようが楽),濃度を均一にしてからマスクを入れます。濃度のむらがあると洗浄が不完全になるのでこうします。
十分に洗うというのは,繊維の隅々まで洗剤を行き渡らせるという意味です。マスクはポリプロピレンの細い繊維が非常にこまかい網目をつくった不織布が主材料ですから,そのままでは水と「なじみ」がありません。しかも本体の主材料であるポリプロピレンは石油と同様に油となじむ素材で,水に濡れにくいのです。界面活性剤は親水性と親油性の両方の部分をもつ分子で,親油性の部分がポリプロピレンと仲よくして「濡らして」くれるのです。その状態で,表面に付いている汚れをミセルに取り込んで持ち去り,またコロナウイルスのエンベロープを破壊して持ち去ることになるのです。
やり方は簡単
用意するもの
- ふたごと電子レンジに掛けられる耐熱性プラスチックの容器(下の写真)
- 台所用洗剤(抗菌でなくてもかまいません)
- ジッパー付きのポリ袋(下の写真)
使った後のマスクは,プラ容器やジッパー付きのポリ袋に入れて何日か貯めてもいいです。密封することでウイルスを閉じ込められますし,乾燥によって汚れが固着することを避けられます。
プラ容器に洗剤と90℃程度の熱湯を入れてからスプーンなどで軽くかき混ぜてよく溶かしてください。洗剤の濃さは指定の倍程度に。マスクを入れるより先に溶かすのは洗剤の濃度にむらができないようにするためです。
その後で使用後のマスクを入れます。数枚まとめて入れてもかまいません。入れたら上から押して全体が沈むようにします。
密封してから保温マットの上に置くとかして,なるべくゆっくり冷える状態にします。温度の効果だけでもウイルスは失活します。そしてもちろん界面活性剤もウイルスをばらしてくれます。
そのまま放置します。2時間以上とか一晩でもという感じで。
流水でよくすすいでから干して乾かします。
ジッパー付きポリ袋に小分けして入れて保存してください。
おまけ:Q&Aなど
Q&A: ネットに入れて洗濯機で洗ってるけど・・・
という話をされました。簡便ですね。ただ実質の洗濯の時間はあんがい短いので,20分程は確保したいところです。マスクが傷まなければよいのではないでしょうか。また上で触れたように,衣類用の洗剤は匂いのあるものがありますので,そのあたりはそれぞれの判断になります。
Q&A: 食洗機は使えないか—使える
ただし,食洗機の設定温度として60℃以上にします。界面活性剤を含まない洗剤もありますが,含んでいるものにしましょう。またマスクがいたまないか,他の食器との関係で問題はないか,そういったことはやってみないとわかりません。機種のちがいもあるでしょうから,科学的な目をもって,それぞれの人が試みるのがよいと思います。
Q&A: 殺菌漂白剤を使うのはどうか—コロナウイルスでは必要ない
次亜塩素酸ナトリウムなどの次亜塩素酸系殺菌漂白剤を使ってはどうでしょう?という質問を受けました。この場合の答は「必要ない」です。コロナウイルスは洗剤の主成分である界面活性剤で確実に不活化しますので,それを超えた手間をかける必要はありません。酸素系漂白剤についても同様です。
ただし,エンベロープを持たないノロウイルスなどのケースでは界面活性剤による不活化は起きないので,次亜塩素酸系の殺菌漂白剤を使わないといけません。もっともノロでは,飛沫感染ではなく排泄物や吐瀉物を介した経口感染がもっとも危険なので,外出時のマスク使用は特に推奨されていません。
Q&A: レンジでチンはどうでしょうか?
電子レンジによる加熱は,水分子にマイクロ波を照射するものです。その場合,部位によって加熱のむらが生じる欠点がありますので,うまく工夫しないといけないでしょう。特に細いひものあたりの温度が上がりすぎてしまうかも知れません。レンジ使用可となっている容器に水を入れて全体を加熱するのはむらが生じなくてよいのですが,温度の測定がむつかしいのではないでしょうか。
Q&A: 加熱だけではダメ?—よくない
以上のやり方はかなりていねいなもので,実際は洗うだけでも大半のウイルスを不活化できるはずです。ただし逆に,加熱だけですまそうというやり方は不適切です。なぜかというと,使ったマスクには自分の唾液その他が付着しており,外からの汚染も起きています。それらを取り除かないと,一時的に消毒できても雑菌やカビなどの繁殖が起きます。まして何回か繰り返してそれをやったら・・・パンツで同じことをやったらと考えてみたらわかりますね。
コツ:時間に仕事をさせる
実験に従事する研究者の間でよく使われる表現に「時間に仕事をさせろ」というのがあります。たとえば化学合成なら容器の中に溶媒や試薬を入れて一定温度で2時間かき回し続けるといった操作です。反応によっては時間がかかるのでそうするわけです。温度を保ったりかき回したりする器具はもちろん実験室に揃っているので,その間は見る必要はあまりありません。未知の反応だと目を凝らしてずっと観察するのですけどね。その待ち時間に食事に行ったり,論文を読んだり,実験の他の準備をしたりするわけです。時間に仕事をさせておいて,自分は他の仕事をするのです。
中性洗剤や高温でウイルスを不活化させるのも,分子の世界で起きる変化を待たなければいけません。繊維の本体である親油性の高分子に界面活性剤がなじむプロセス,ウイルスの残骸を含むミセルが作られて溶液中に剥がれていくプロセス,あるいは熱運動で脂質膜がばらばらになったりコロナウイルスのスパイクタンパクが変性したりするプロセスはとても複雑です。幸い必要な時間はこれまでに調べられてレビュー論文などにまとめられています。上の処理では,そういったデータを参照して,余裕をもった時間を設けています。
なかなかまだるっこしいですが,その間,時間に仕事をさせて自分のやりたいことをやるように段取りしてください。